蜜声・睦声 〜大戦時代捏造噺



       
終章



 「そんなこともあったかの。」
 「あったかの、じゃあありませんよ。」

 呼吸を合わせての出て来てくれたんじゃあなかったのか? そんな余裕、あの頃の私には まだまだあろう筈がないですって…と。御主の盃へと酒を酌みつつ、困ったように艶やかな苦笑を零したのは、今だったならナンボでも芝居に乗ってくれそうなほど、鷹揚さも貫禄もこれついた、お座敷料亭“蛍屋”の若主人。瑞々しくも若々しい、花も恥じらってその前では萎れてしまいそうなほどの美貌に衰えはなくの、品があって嫋やかなまま。そういやあの当時の勘兵衛様と、変わらぬ年になったんですよね私…なんて、にっこり微笑ってヤなことを言える、頼もしい逞しさをも身につけており、

 「今だったら判りますよ?
  あんな突然のお言いようをなさったのも、
  私と組んで不審者を釣り出すがための芝居を打ってたと、
  あやつに思い込ませたかったからだってね。」

 勘兵衛がさんざん脅しはしたが、実際のところは…あの程度の侵入罪なぞ、せいぜい町角に名前と在所が明らかにされての晒される程度の、最も軽い処罰どまり。それじゃあ腹の虫が収まらないし、腹いせにと口外されての笑い者にされてはそれこそ堪らないからと、いかにもの“大掛かりな作戦”だったように思わせるため、咄嗟の小芝居を打った勘兵衛だったらしくって。

 「怪しい気配があったのでとわざわざ構えた罠、
  つまりは艶ごとも嘘の芝居だと。
  ああでもしなくては釣り出せなんだが、なればこそ、
  手間を掛けさせた分も処罰は重いと覚悟せいと、
  むちゃくちゃな理屈でやり込めて。
  もっと本格的な間者か賊を待ち構えていたのだという段取りにすり替えて。」

 『とんでもねぇっ、俺はただの魔が差した覗きだって。
  そんな…南からの間者なんてな おっかないもんじゃねぇっ。』

 なあ頼むから見逃してくんなさい、あんた方でも恐ろしい責め苦にかけるだの、牢獄に入ることになるだの、そんな恐ろしいこと勘弁して下さい。怪しいもんがおったらば、こっちからこそお知らせします。俺は断じて、あんたがたがホントに捕まえたかった間者なんかじゃありませんと。お念仏でも唱えるかのように、ぶるぶると震えながらの這いつくばったまま、繰り返し繰り返し言いつのった彼だったので。ならばと在所や名前を明かさせた上で、

 「今宵だけは見逃してやるが、
  よしか? 此処の敷地内ではこのような策謀、夜中でさえ行われておるのだ。
  よって、勝手が判っておっても気安う近寄るでないぞと、
  何だか妙な脅しをかけてらした。」

 すらすらと講釈師のような手際のいい語りようをする元副官へ、ちょっぴり眉を眇めての責めるようなお顔を作り、
「そこまで判っておったのならば。」
 その一件後の激昂を差して、ああまで怒らんでもよかったのではと。恨み言の一つも言いたそうな口調となられた御主だったが、
「ですから。その当時の私は、何につけいっぱいいっぱいでしたから。」
 あれが今であったれば、心得もあってのなめらかに、もっと上手に芝居を付き合っても差し上げられたのでしょうけど。当時の自分はせいぜい、勘兵衛のまくし立てへと添うように真摯なお顔でその場に居合わせ、図らずもその言の裏付けをしてやれたのが精一杯。実をいや、勘兵衛様ご自身じゃあなく、七郎次が要らぬ恥をかかされぬようにとの心遣いであったことにさえ、

 “随分と後になるまで、気づかなかったのだもの。”

 真の事情も、はたまた契りそのものの崇高さも、よくよく知りもしない無知な者らから。あんな澄ましたお顔をしているが、実は男に善がる稚児衆だぞよと、北見の陣にて悪しざまな風聞を広められては可哀想だと思われての咄嗟の仕儀。睦みの濡れ場自体も芝居の一環、つまりは大嘘と思わせた絶妙な口上の深い意味まで、当時の自分にはとんと判らなかった七郎次。ほれほれと敷地の外までを付き添っての出て行かせた、双璧二人を見送って、

 『…勘兵衛様。』
 『? 如何した?』

 怒っておるように見えるのだが。怒っているのですよ。白々しいやり取りを前哨戦に交わしてのそれから、

 『盗み聞き男はともかくとして、どうしてあのお二方が此処におわしたのですか。』

 双璧のお二人は、おびき寄せての現行犯を捕まえねばとの手配り上、身を隠しての“見張り”をなさっていた関係で、執務室のそのまた奥向き、仮眠室での声だ何だを直接には聞いていない。とはいえ、どういう状況があってのこういう事態かが判らぬほど、とうの立ったる朴念仁な方々でもなかろうから。そこいらあたりを含んでの遠回し、わざわざお伺いを立てた七郎次だったのへ、

 『我らの間柄は知られておろう。』

 何を今更とあっけらかんと言い返されたのも、まま判らないではない。先の騒動の終盤で、私の寵童だ文句があるかと、結構な衆目の中にて堂々と公言した勘兵衛であったことは、今やその場にいなかったものにまで広く知れ渡ってもいるくらい。七郎次の側にしたって、その方向での揶揄に遇えば“だからどうしたのさ”と眉ひとつ動かさずにやり過ごしてもいるほどで。

 『ですが…っ。////////

 あれもまた、丁度この今宵のすったもんだへ勘兵衛が即妙に付け足した作為のように、何かしら裏があっての大芝居の一環だったんじゃあないかと、思って下さっている隊士の方々が…殊に身内の島田隊の中には少なからずおいでだってのに。そこへとのダメ押しをしたような形になりはしませぬかとの、憤懣をたたえた言いようを重ねかけると、

 『そうは言うが、
  今更“あれは芝居でございました”と訂正して回ったところで、
  もはや説得力があるとは思えぬし。』

 小さく苦笑を零した勘兵衛様。そのまま間近まで寄って来られると。身を支えての扉へと当てていた、七郎次の白い手をそおと取り上げ。あっと言う間もない手際のよさにて、年若い情人をその懐ろに引き込んでしまってから、

 『芝居だなどと申すのは、今度こその嘘になろう?』
 『だから…っ。///////

 耳元で囁いたのはわざとだなと、膝が折れそうになった身を支えていただいた間のよさまでもが小憎らしい。そういう艶めいたことをも臆さない、大胆なところがあったのは、まだ茶目っ気のあるお年頃だったからということか。そして、それへと真っ向から相対すには、七郎次の側はまだまだ青さ幼さが濃すぎての歯が立たず。悔し紛れに何とか思い出したのが、
『そういえば…。』
『?』
 何でもなし崩しに許しての甘やかしていてはいけないと、日頃 皆様からもご訓示いただいておりますし。そんな四角い言いようをし、ぷいっと拗ねてのそっぽを向いたのを皮切りに。恐らくは最長記録の一カ月、勘兵衛を“島田様”と呼び続けた七郎次だったのも、今となっては懐かしい話。そんなこんなの四方山話、しみじみと思い出しては紡いでおれば、

 「…お。」

 元・主従二人が、それぞれに涼しげな浴衣姿での差し向かい。のほほんと燗酒なぞ酌み交わしていた広間の濡れ縁。庭へと障子を開け放っていたところを目指したか、蛍が一匹、ふわりと忍び入る。久方ぶりにお見えのお二人。今現在の勘兵衛様の、掛け替えのない伴侶でおわす紅衣の君は、こちらの令嬢にねだられて、近くの神社で催されてる“風鈴市”へと運んでおいで。そこからだろう、賑わいや囃しが微かに聞こえるものが、遠いからこそどこか寂しく聞こえるのを噛みしめながら。そういやあれはこんな時期のことじゃあありませなんだかと、一番遠い頃合いの記憶を語らい合ってた二人だったりし。あまりに遠すぎる過日の出来事、いかにも青臭い言動が もはや笑い話でしかなくなっているのにね。それでも持ち出すにはあまりに甘くて、解き放つのをためらわれていたそれ。今やっと口に乗せられるようになったんだなぁと、そんなことをまで感じ入ってしまった槍使い殿。自分はこれでも…あの跳ねっ返りだったころに比べれば、随分と大人になったのに。当時と余り変わってはおられぬほどに、背条もピンとし今なお精悍で。でも、落ち着きや風格はさすがに増された御主のお顔へと、

  “変わられないのが、嬉しいような…困ってしまうような。”

 貴方様だけが今なお、胸を張っての矍鑠と、当時の延長線上に居続けてなさるようなのが。焦がれるほど雄々しい様がどうしてだろか、間近にないときは仄かに痛々しく思うこともある。まだ立ち止まれない勘兵衛様かと。だってのに、今はその逆で、ひたすらうらやましいと思いもする不条理よ。深々と感じ入っての細めた眼差し、じっと向けてたその耳元へ、

  ―― あんまり真摯に見つめてると、大事なお方にそのうち穴が空くぞ?

 懐かしいお声が不意によみがえったような気がして。

  「如何した?」
  「…いえ。」

 はっとしたこちらの気配を拾われたものか、柔らかな眼差しを つと向けて下さって。そうと案じて下さったのへ、何でもないと破顔して。どこまで遠くへ来たものか、その歳月と積み重ね、今更ながら喉奥に甘く苦く、堪能してござった古女房殿であったそうな……。






  〜Fine〜  08.8.01.〜8.06.


  *こうまで気を引いといて、なのに全然つやっぽくないオチですいませんです。
   せめて〆めくらいはと叙情に頑張りましたが、何だか有耶無耶な…。
(とほほん)
   自分らの艶ごとまで罠の餌にしちゃえる、とんでもない策士。
   まま、若かしり頃のやんちゃの一頁だということで。
   ……こんなおっさまで、本当にいいのか? 七郎次さん。
   手へ六花を刺したこと、後悔してないか? 七郎次さん。
(笑)


  *いえね、大戦捏造ものを何作か既に書いてますけれど、
   勘兵衛様の一人称を“まだ儂じゃあなかろう…”と考えててハッとしたのが、

   「…私、勘兵衛様を幾つ設定で書いてます?」ってことでして。

   ついうっかりと、
   原作設定と変わらない年齢で捉えて書いてませんか?(訊かれても)
   いくら 年とれば十年もまた学生時代に比べりゃ短くなるもんだとはいえ、
   三十代半ばと四十代後半は、落ち着きや何や やっぱ全然違いますよねぇ?
   ちょっと前まで二十代でしたという まだまだやんちゃ盛りなお兄さんと、
   もうすぐ五十代目前という 不惑の四十男を一緒にしちゃいかん。
   しかもそこから更に何年か、6、7年ほどは若く見積もらにゃいかんのに。

  *まあその。
   既に色々と抱えてるお人でもあって、
   おシチさんとの出会いの前に、
   相当に痛いことがあったらしいので。
   ウチの若カン様、他所様よりもっと老け込んでらっしゃるということで。
   そんな勘兵衛様を少しでも若がえらすのは、
   シチさんと過ごすこれからの日々だということで。(く、苦しい?)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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